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三宅Style 第3回 菊地 ひとみ氏インタビュー

更新情報

「自然ガイドって『自然の翻訳者』なんだと思います。

三宅島とはどのように出逢ったのでしょう?

以前イルカのトレーナーをやっていたのですが、イルカとの接触事故があって入院せざるを得なくなりました。療養中に某ダイビング雑誌を見ていたら、御蔵島のイルカの特集があったんです。トレーナーたちと冗談で、いつかみんなで休みが取れたら、イルカたちが生活していた本当の姿を見に行きたいねという話をしていました。

当時は野生のイルカと泳げるのは小笠原ぐらいしか知らなくて、雑誌を見て初めて東京都に御蔵島という島があり、そこで野生のイルカと泳げるということを知りました。自分の今後を考えなければならなくなった時に、飼育の現場にいるべきか、野生のイルカに関わる場所にいるべきかという岐路に立たされました。そして、イルカが生きる本来の姿、ありのままの姿を見てみたくなり、退職して体を完治してから野生のイルカと関わる仕事がしたいと思うようになったのが23歳くらいの時です。

実はその特集記事の下に三宅島のダイビングショップのスタッフ募集広告が出ていて、自分で履歴書を書いて送りました。三宅島にはそれまで一度も行ったことがなく、御蔵島も雑誌で初めて知ったのですが、ただ野生のイルカに会いたい一心で応募してしまいました。その後、ショップの社長も受け入れて下さって、三宅島の下見もしないまま来島したんです。

インタビューを受ける菊池 ひとみ氏の写真

その半年後、ガイドの試験を受けたり、体力づくりをしたりして、正式にイルカのガイドとして働き始めるようになりました。噴火前の1999年でしたが、その1年は、今振り返ると、自分が今まで生きてきた中で一番内容の濃い島暮らしだったと思います。1年仕事し続けたので、一度休みを取ろうと関西の実家に戻り、2000年夏にまた島に戻ろうとしていた矢先に噴火が起きて、結局島には戻れず、全島避難となりました。実家に仕方なく留まりましたが、他の島民の皆さんと同じで、何をして生計を立てようかと悩みました。

イルカのガイドも1年しかできていないし、どうしようと思っていたら、トレーナー時代の同期が動物飼育の学校で勤めていて、私が三宅島から帰ってきているらしいということを聞いたらしく、イルカの飼育と野生のイルカを両方知っている上で学生たちに伝えられることは多いのではないかということで、特別講師の依頼があったんです。実は今もその授業は続けていますが、特別講師から非常勤講師になって、それから専任教員になったんですね。

2005年の全島避難解除を知り、あの1年間で体験した刺激的な毎日の「生きている」という実感がじわじわと蘇ってきました。島に帰りたいと思うようになった。でも、その間に始めた講師業も続けていて、生活がそこにはありました。初めて島に行ってから既に7年近くが経過していたのですが、当時のイルカのガイドとしての経験値もどんどん錆びついてきているのが分かって、自分の中ではもう限界でした。

もっと生きた授業がしたい。学生たちにもっとフィールドで経験したことを伝えたい。本とかネットとかで知ったことを教えるのではなく、自分が感じたり経験したことを話したい。そこからやっぱり移住したいという想いが固まっていったんですね。30歳の頃。そして、ついに31歳で島に来ました。


島に来るまでは、長い時間が流れたのですね。

そうですね。島民の皆さんがそうだったように、4年半の避難生活を経て2005年2月に避難解除になっても火山性ガスの影響もあり、2006年になって少しずつ島民の皆さんが帰り始めました。1999年の1年間の生活のうちに知り合った島の方々たちを訪ねたりしました。関西と三宅島の往復は宿泊も含めれば10万円くらいかかってしまいますが、3往復もして住居を探したりしてました。そして、2007年3月末に移住してきたんです。

移住前の1年間は、住居を探したり、仕事を見つけたりと大変でした。引越も関西からなので、距離もお金もかかりましたし。でも島民の方が助けて下さったんです。いろいろ困難があったけれど、すべてはイルカからでした。今も続けている講師業も天職だったと思っていますが、一生自然といきものに関わる仕事をしていきたいと思ってきたので、私の場合は、それが叶えられる場所が、小笠原でもなく、沖縄でもなく、御蔵島でもなく、三宅島だったということですね。確かに両親や友人は、三宅島の噴火も知っていたので「大丈夫なの?」と言いました。でも、住んだ人にしか分からない魅力や刺激が三宅島にはあって、1年間住んだ時はすごく楽しかった。若かったというのもありますが。

湖を眺めている写真

その思い出があるから、今の自分があります。自分としては「三宅島に召されてきた選ばれしもの」と思っています。釣りができて、波乗りができて、イルカがすぐそばにいて、自然も豊かで、住んだことがあるし、結果、それなら三宅島でいいんじゃない?と。いろんな消去法で取り払っていくと、三宅島だったんですよね。何かのご縁があって、自分は召されてきたんだろうなあというのが軸にあって、そこから自分に何ができるか?と考えたら、自然やいきものと関わる仕事がしたいと。

島の自然を通じて、自分のスキルややりたいことや活動を続けていくということに、自分が島に来た意味があると思ってます。それでも、最初の頃は帰りたいなぁと何度も思いました。移住者に対する支援もさほど多くなかったし、住みにくいと思うことも正直ありました。地域が気にかけてくれることも、最初は少し慣れなかったけれど、地震や天災が起きた時に近くで見てくれていることは決して悪いことではないですね。

自分はやはりよそ者ではあるので、孤独を感じた時も正直言えばありました。でも、島で生まれ育った夫と結婚して島嫁になったこともあり、夫の両親や親せきなどに守ってもらうことが多くなり、孤独に思うことは徐々になくなっていきました。もちろん、地域に入って行くということは、そこに伝わるしきたりを学んだり、お手伝いもしたり、関わりが深くなることを含めての島暮らしという意味にもなります。


自然ガイドになった菊池氏の写真

自然ガイドになったきっかけをお聞かせ下さい。

アカコッコ館の三宅島自然ふれあい友の会に入会して、自然体験プログラムなどに参加しながら、自分のこれまでの仕事や三宅島にいたことなどをいろんな人に話していたんです。すべてにおいて人に恵まれていて、タイミングごとにいつもいいキーパーソンがいて下さったんですよね。当時アカコッコ館に常駐していた日本野鳥の会のチーフレンジャーから自然ガイドの養成講座への参加を勧められたんです。当時は移住1年目で、幸い郵便局からお声がかかり仕事を始めていたので、すぐには参加できなかったんです。

そこで翌年2008年に第2期生として講座を受講し、自然ガイドになりました。その後、保全活動と環境教育活動、三宅島の自然のPRを三本柱として活動している三宅島自然ガイド「キュルル」に参加し、活動しています。三宅島には釣りやダイビング、イルカで来る人が多く、陸と言えば鳥くらいで、海の状況がよくない時に空いた時間で陸の鳥を見るくらいのプログラムしかありませんでした。そこで、2010年、陸のガイド専門ショップである三宅島ネイチャーツアーmahana(マハナ)を立ち上げ、三宅島の陸の魅力を見つけようと3年くらいかけて勉強し、火山にも魅了されるようになりました。今では、三宅島ネイチャーツアーの専属ガイドとして活動するまでになりました。


ガイド中の写真

ちなみに、今までガイドされた人数は何人くらいになりますか?

相当ですね!1,000人は軽く超えてるでしょうね。例えばWERIDE三宅島(2007年より毎年秋に開催されるバイクレース)やキッズサマースクールのような団体向けのガイドもありますしね。4年前からは、避難中に教えていた学校の研修旅行として、80名くらいの生徒が関西から2週間にわたって来てくれるんです。野性のイルカの生態を知り、飼育に活かせるという趣旨を学校が理解してくれて、生きた授業をしたかった想いがようやく形になってきました。


お一人、団体、大人、子ども・・と様々なガイドをするにあたり、何か違いはありますか?

どんなガイドであっても「導入・実施・まとめ」というのがあります。「まとめ」のところでは、ガイドが三宅島の自然から学んだことを伝えます。私たちは「自然の翻訳者」なので、三宅島の自然が伝えたいと思っていることを伝えます。それについては誰に対しても同じ。もちろん自然はどんどん変化するので、その時々の内容になりますね。ただ「伝え方」については大きく変わってきます。三宅島のリピーターか、全く初めての方か、大人か子どもか、島育ちか島外の方か。対象によって、たとえば専門用語もかみ砕いて話すとか、あるいはマニアな方にはもう少し深い話をするとか。いかに自分の引き出しを持っているかで、参加者を楽しませることができるか、ですね。


2000年噴火前後で三宅島の自然にどのような変化が起きましたか?

自然も大きく変化しましたが、自分の意識も大きく変化しました。三宅島に来たのがイルカつながりだったこともあり、イルカのことしか知らなかったんです。バードアイランドということも知らなかった。自然ガイドになって勉強すればするほど、火山について深く知ることになり、今はすごく楽しいです。噴火前にも住みましたが、島の自然に対する視野が広がりました。

島の自然自体も噴火の時点でリセットされ、ほぼ半減してしまった状態ではありますが、そこから芽吹いていく力強さは、他の島ではなかなか見ることができないし、被災地という視点で見るとさみしい感じになりますが、自然の流れで言うと、2,500年ぶりに大規模な噴火が起きたその時代に私たちは生かされていたとも言えます。自然界の中では噴火活動はあたりまえのことで、芽吹いていくのを見ることができるのは逆に貴重で、完成された森というのは世界中にたくさんあるけれど、途中の段階や日々流動的に変化していくのを見られる場所は、人間の暮らしからすると不利かもしれないが、自然界の動きから見るととても面白くて強みでもあるかなと思います。

大樹を見る菊池氏の様子

その違いを伝えていきたいし、噴火前後で自分で比較ができるというのもラッキーだなと思っています。今思えば、あの時もっと八丁平に行っておけばよかった、林道より上の森に行っておけばよかったとは思います。仕事ばかりだったので、深い森などをもっと見ておけばよかった。島の人にとってもあるのが当たり前で、なくなってみて分かるとか、離れてみてよさを知るとか、そういうことはありますよね。現在、実働ガイドの半数くらいが噴火前の島を知っているので、ガイドをする時にもそれぞれのカラーで体験談を話されているようです。


自然が雄大であっても、人が住みやすいようにもう少し開発される方がよいという意見と、どちらかというと自然に人間が生かされているという意見と、ひとみさんにとっては三宅島はどちらだと思いますか?

断然後者ですね。ハワイには行ったことはないですが、ハワイの原住民の教えは、地球のマグマが流れ出すこの場所に自分たちは生かされていると考えますよね。三宅島も広すぎず、狭すぎず、手つかずの何もないところがいいというのがひとつの個性ではないかと思います。開発されて利便性の高い島には勝てっこない。でもどうやってそういう島と棲み分けるか。

三宅島は、何か面白いイベントをやってそうだから気軽に行ってみようという島ではないと思います。ここに来たいとまず思わないと、東海汽船に乗りませんよね。(笑)そう思ってくれるような、マニアックかつアカデミックな素材を残しておかないと人は来ないのではないかと。もしかしたら海外旅行の方が安くつくくらいかもしれない中、それでもなぜリピーターが来るのかといえば、大きなメジナが釣れたり、行けば出会えるイルカがいたり、本土では見られないアカコッコが見られたり、海外ではなく三宅島に来て下さるわけですよね。

展望台から眺めている写真

だから、そうした観光資源は守っていかないともったいないと思う。伊豆諸島は競い合うのではなく、それぞれが個性を持っているので、世界に東京諸島としてPRするのは面白いのではないかと、他の島のガイドさんとも話をしていて、つながりも増えています。比較できないくらいそれぞれが魅力を持つ。二番煎じになるのはよくないのではと思うのです。だからこそ、三宅島には「何もない」のがいいのではないかとおっしゃって下さるお客様もいたし、これがいいからと自ら言って来て下さるコアなファンを増やしたいです。

自然の素材だけではなくて、民宿の女将さんだったり、島のあの人に会いに行く、そういうものを増やすといいのではないでしょうか。整備しすぎたからいいということはなく、最低限のインフラは確保しないといけないですが、人が最低限幸せに暮らせるために整備されていればいいのではないかと思うんです。例えば、大路池に向かう道がアスファルトになることが必要かといったら、そのことで、アカコッコをはじめとする鳥たちの餌場を奪うことになってしまう。そこに生きるものたちの環境も調べた上で整備するかどうか考える。そうした共生が必要ではないかと思うんです。整備されすぎたら、三宅島を魅力的だとは思わなくなるのではないでしょうか。整備された場所は、都会にはいくらでもあるので、そういう暮らしではない、何もないところを求めてお金を払って来て下さるのではないかと思うんです。


自然ガイドの魅力とは何でしょうか?

好きだからやれる仕事であり、自然と人をつなぐ「橋渡し」という仕事にすごく魅力を感じています。自然が何を訴えているか、何を伝えようと思っているのかをかみ砕いて人に伝えることに幸せを感じますね。結果、自然がそのまま残って、その中に自分たちもいきものたちも幸せに暮らせるということが返ってくる。ボランティアにせよ、有償にせよ、自然と関わる仕事は自分にとってライフワークです。

何も縁がなかった三宅島に住むことになって、人に出会い、人とのつながりの中で取捨選択しながらこういう形になってきました。小さい頃からいきものに関わる仕事がしたいと思ってきましたが、まさかイルカのトレーナーではなくて自然ガイドになっているとは思いもしなかったです。この仕事を与えられているということは、何か使命や必要とされていることがあるからと思って仕事をしています。

講義をしている菊池氏の様子

「好きな仕事=やりたかった仕事」であり、それが生計につながっているのは嬉しいです。自然ガイドの仕事は、基本的には島外の方向けの仕事なので、できれば島の子どもたちにそれを担っていってほしいという想いもあるし、若手をもっと育成しないと、自分たちの代だけで終わってしまっては意味がないと思っています。持続可能な育成方法について考えていかなければと思います。


ガイド養成講座の様子

島で自然ガイドを目指したい方へアドバイスをお願いします。

まずは、アカコッコ館主催の年1回開催のガイド養成講座(不定期)を受講します。その後、試験を受けて認定ガイドになります。私の例で言うと、まずは三宅島自然ふれあい友の会に入会して三宅島の自然を知り、自然ガイド養成講座を受講して本格的に自然ガイドとして活動し始めました。そして、三宅島自然ガイド「キュルル」に所属しながら、ガイドだけでなくアカコッコやウミガメの個体調査にも参加していましたが、実際のガイド活動を進めるベースがなかったこともあり、2010年陸のガイド専門ショップであるmahana(マハナ)を代表と立ち上げました。

今では、村や観光協会からも依頼があり、有償ガイドとしての活動の場が広がっています。また、自然ガイドとしてのスキルアップという点では、独学で勉強したり、アカコッコ館主催のセミナーやフォローアップ講座に積極的に参加して、チャンスがあれば島外でいろいろなガイドを見るとか、自分自身で磨いていかなければならないので、スタートラインには同じように立てても、そこからは自分次第なんです。


ガイドとしての引き出しを増やしていく作業は本当に大変ですね。

終わりのない仕事です。クジラが出たといったら可能な限り見に行きますし、ネットワークで知らせてもらってできるだけタイムリーに情報を入手しています。データを取っておけば、ウグイスの鳴く時期も去年と比較できるとか。この季節はなぜ白や黄色の花が多いか。この花は何だろう。今日出会った猛禽はなんていう名前だろう。帰宅したらすぐ調べますね。


2000年噴火後がかかれた地理床の写真

それを日々続けられるのは本当にすごいですね!

大変ですけど、楽しくて仕方ないですよ。三宅島は、海にも山にも、何が来るか分からないですから!イルカもクジラも、シャチも出たと聞いて、間に合わなかったりすると「見たかった!」と一喜一憂します。「生きてるなあ!」って思う。日曜でもクジラを見に出かけたりもしますが、その活力はどこから来るだろうと思うと、やっぱり小さい頃からいきものと一緒に暮らしたいとずっと思ってきて、それがここならいつでもできて、さらにはそれで生計も立てられるなんて幸せだと思うんです。相当出会った人に恵まれているんだと思います。

なりたいと思った仕事にこうして出会えて、母にも「好きなことばっかりやって!」と言われましたが、努力して出会えました。陸のガイドのショップを代表と立ち上げて、誰もやっていなかったことを開拓しましたが、この先一代で終わらせるわけにはいかないという責任も感じますし、地域とともに続けていくというのが課せられた使命だと思っています。この先噴火がどうなるだろうということもあります。ただ、自分が生きている中で噴火に出会うこともそう多くないので、何かしらの経験値になると思っています。生きた証拠としてガイドにもつながっていくでしょう。火山を勉強していくとメカニズムが分かり、怖いというより勉強になります。正しく知ることで、その先の可能性が分かるようになりますよね。

島では意外に自然に関心がある人がそう多くないかもしれませんが、自分がやっていることが変わっている、マニアックだと言われることがあっても、誰もやっていないことをやっていると思えば、その道を極めるところまで極めようと、最近はそう思っています。自分が島に来た意味は、シンプルに、いきものと関わりたかった、ということですから。体が続く限りやりたいと!(笑)イルカに始まり、島の自然を学ぶことで、今では自然ガイドといったら菊地さんと言ってもらえるようになりました。その期待を裏切ることなく、頼んでよかったと言っていただくためには、日頃から勉強を重ねます。

同じガイドをしても、その日の天候、気温、お客さんの知識、興味は全然違う。今日はお客さんにどう思われただろうかと、毎回一喜一憂します。自分との闘いですね。普段なかなか自分のガイドを見ることはできないので、年1回は他のガイドを体験するようにしています。視察などで得た知識は「キュルル」のメンバーとも共有して、みんなで成長して、三宅島のガイドってすごいなという底上げにつなげたいと思っています。島の子どもたちが帰ってきて、自然ガイドをやりたいと言えるようになるまで、自分たちは頑張らなくては。


その土地のガイドがいる時と、いない時では感動がまったく違いますよね。そしてガイドという仕事がとても大変であることも分かりました。

やりがいもあるし、プレッシャーもあります。あとは仕組みづくりですよね。三宅島ファンは必ずいます。その方にいかに来ていただくか、ですよね。実は、自分の教え子も島で出会った人と結婚したり、自然ガイドを目指して三宅島に住み始めたりしていて、それはとても嬉しいことです。


島嫁としての島暮らしはいかがですか?

結婚は、自然ガイドを始めてから、2013年にしました。島育ちの人と結婚して、大きな家族の中に入ることになり、助けてもらっていることの方が多いです。島外からお嫁に来て、地域に根づいて、親せきの面倒を見ているおばぁたちを見ると、自分もやがてそうなるのかなと思ったりもします。島の男の人も、お嫁さんがしっかり下支えしてますしね。(笑)自然ガイドをしていると、週末によくある地域のお祭りを手伝えないこともあって、悩ましい時もありますが、その分、地域の他の活動にはできるだけ参加するようにしています。


学童クラブの教育支援をしている様子

自然ガイドをしながら、他の仕事も掛け持ちされていますよね。

これもご縁でした。自分が岐路に立たされるターニングポイントで、誰かが声を掛けてくれるんですよね。今は、自然ガイド以外に、学童クラブの教育支援と伊豆緑産さんで仕事をしています。自然ガイドが本業になるため、仕事の調整をしなければならない時もありますが、理解していただいていてとてもありがたく思っています。教育と島の自然への関心という二つの点が結びついていて、それが自然ガイドにもつながっているので、有意義な仕事です。与えられたことを精一杯やりたいと思います。


これから三宅島に住みたいと思う方に向けてメッセージをお願いします。

移住というと構えてしまうかもしれませんが、島自体が生きている感覚、その息づかいを是非来て感じてほしいです。自分が生きていると思える場所を見つけて、五感で感じてみて下さい。自分のアンテナに何かひっかかるもの、忘れられないものが三宅島にはあります。島の力強さを感じてみて下さい。都会で忘れかけていたシンプルなもの。例えば「生きる」ということ。太陽が昇っては沈む、その姿。星空を眺めるために空を見つめること。感じるものは多いですよね。


桟橋に立つ菊池氏の様子

最後に、ひとみさんにとって、三宅島とは何ですか?

大自然の中に生かされていて、お金には換えられないものがたくさんあるところ。噴火も、灯台を覆うような大波も、すべて生きてるなと感じられます。流れ星もたくさん見えるし、地平線にはグリーンフラッシュも見えて。普通に散歩してたらザトウクジラがパッと顔を出すとか。素晴らしい場所なんです。


(2017年2月3日株式会社伊豆緑産にてインタビュー。聞き手:木村美砂)

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